穴弘法もみじと100地蔵のライトアップ 2021

11月6日(土)~14日(日) 午後6時~9時

 第20回目となる「穴弘法もみじと100地蔵のライトアップ」が土岐里山の会主催で実施されます。

 鮮やかに浮かび上がる逆さもみじや岩穴に鎮座する104体の石仏、繊細な模様の竹あかりが作り出す幻想的な光景は、コロナで疲れた心をきっと癒してくれることでしょう。

 

穴弘法は土岐高山城跡の一郭 

 

今年で20回目を迎える穴弘法もみじと100地蔵のライトアップ。開催場所となる穴弘法は土岐高山城跡の麓、南宮神社の奥にあります。

土岐高山城は鎌倉時代に起きた承久の乱のころ、土岐氏一族、高山秀頼が築城したと伝わっています。高山秀頼は美濃源氏の流れをくむ土岐源氏の祖土岐光衡の従兄弟に当たります。土岐高山城は土岐源氏の居館であった大富館や浅野館を守護するための要塞としての役割を果たしたと考えられています。

戦国時代には武田信玄の嫡男勝頼の東美濃攻めの舞台となり、織田信長の支援を受けた当時の城主平井頼母は700人の軍勢で12000人を擁する武田軍と戦いました。その後関ヶ原の戦いの後の1615年一国一城令により廃城となっています。

 

穴弘法誕生の背景

 

穴弘法の洞窟にはかつて土岐高山城の武将を弔う墳墓が存在したと考えられています。鎌倉時代、源氏同士交流のあった鎌倉では武士が亡くなると、岩をくりぬいてお墓を作る「やぐら」と呼ばれる風習がありました。石仏が安置されている穴弘法の洞穴は、この風習が伝わって作られたものと推定されています。

戦国時代に武田勢が押し寄せた際にはこの土岐高山城の一郭であった穴弘法では多くの犠牲者が出ました。

穴弘法に再び光が当たるのは、江戸時代前期の1688年、武田信玄の玄孫、雲峰元冲がこの地を訪れ古城山慈光院(黄檗宗)を開山した時です。京都から郷里の山梨への戻り道、この地を見た雲峰元冲は美濃攻めの犠牲となった武将や農民町民を供養しなければならないと感じお寺を建てたと伝わっています。

慈光院は住職が2代続いたのち廃寺となりましたが、明治末期になり、古城山遍照閣(真言宗)として地元の人々によって再興されました。昭和になると跡継ぎがおらず現在は再び廃寺となっていますが、穴弘法もみじと100地蔵のライトアップの開会式の際には関係者が集まり先祖供養の祈願祈祷を行い先祖を弔うことを続けています。

 

今年は 11/6日(土)から14日(日)

午後6時~9時までライトアップを行います

 

会場では昼夜を問わずマスク着用とソーシャルディスタンスにご協力いただき、静かに楽しく秋の一日をお楽しみ下さい。

 

主催 土岐里山の会

後援 高山区自治会 高山城高山宿史跡保存会

 

 

穴弘法もみじと100地蔵のライトアップ チラシ
もみじまつり2021A4チラシ.pdf
PDFファイル 10.6 MB